外出自粛は・・(惑星の月ガンマ24日)
新型コロナ感染症(COVID-19)も緊急事態宣言の状況下、人との接触を8割減らすという目標は広く認知されているところだろう。
通勤や職場での人との接触などを考えると、非常に高い目標だと感じるが、一方で認識の甘さに腹立たしさを感じてもいる。
マスクを忘れちゃったけど、もう終息しちゃったと思ってるんで・・ (耳にした印象)
休業要請に従わないパチンコ店のお客へのTVニュースインタビューより(あくまでイメージ)
自分は罹らない、感染リスクはほとんどない、たとえ感染したって軽症ですむだろうから・・・。
感染リスクがあるとしても自己責任だから・・・。
コロナ疎開・・・
あのネ、それって・・・
自分は新型コロナ感染者ではない前提だよね・・
PCR検査で陰性判定もらったの?(だとしても、なんだけどネ)
もしかすると、万が一だけど・・・自分が無症状の感染者という可能性もあるよね。
自分がウィルス感染者だとして、どんな行動をとるんだろう?
そんな意識で過ごしたいGWだ。
でも、「外出自粛」ってスローガンも嫌い。人との接触を避け、感染症対策を意識しての外出まで自粛する必要性があるとも思えない。
行動はリスク管理に基づくものだと思っている。
「安全安心」を漠然と求めるのではなく、「危険」はリスクと利便性の兼ね合いで最適化し、「不安」は受け容れてなじむ&できる対応は用意するのかなと。
例えば、マイカーの運転。
リスクだけを考えれば、運転しないことが一番だけれど、運転による有難さ・楽しさなど有用性もあって、必要性が決まる。そして、どんな車・装備を選び、どう整備し、どんな運転をするかなどの行動が決まる。
当然にリスクはゼロにはならないが、納得できる範囲に最適化するわけだ。
一方で、マイカーの運転にどんな不安をどの程度持つのかは、各自の受け止め方次第。心配性、楽天家などなど、感性・個性次第だし、そうした感覚のベースになる知識・データ・評価基準などがどうかという点も関わっている。
知らないこと・分からないことには気持ち悪さや不安はつきものだけど不安を怖がらずに、「何が」「なぜ」不安に感じられるのかを受け止め、自分で対応できることには向き合い、自分でどうしようもないことは一緒に抱えていきながら付き合っていくのかなと思っている。
というわけで、上の記事で書きたかったことは、「外出自粛を守らないバッシング」ではない。
結果としてどのような行動をとるのかは各自の自己責任の判断に任せたい。(法律や指示・要請、ルールにどう向き合い、どんな処遇を被るのかも含めて)
では何が書きたかったかというと、「自分が感染者だとしたら」という視点を自分は大切に持っているということ。そして「自分は感染者ではない」という意識で外出(し、書いてはいないが、感染者や関係者をバッシング)する意識への嫌悪感だろうね。
で、あえてコメントを書いているのは、
自分とは違う視点や価値観を持ち行動する人(・・・だけではなく、虫や動物や植物などなど)とも一緒に在りたいと感じている気持ちの変化を表明しておきたいから。
このところ思っているのは
「新型コロナ」シュウソク(終息、収束)のイメージが共有されていないこと。
ウィルスとの共存もモチロン否定していないけれど、積極的に感染したり、ましてや拡大させたりしたいとは思っていないから、3密は避けている。
一度新型コロナウィルスに感染してしまえば免疫ができるのかどうかは専門家ではないので知らないし、エビデンスとして明確なようにも思われない。
というところで個人的な新型コロナ・シュウソクの(今のところの)イメージは、インフルエンザ・ウィルスの流行の収束と同じものだ。ウィルスは存在しても、感染を拡大させないようにしながら(ワクチンや治療薬が開発され)共存していくという感じだ。
流行することはあるけれども、せいぜいクラス単位の学級閉鎖で対応する・できるようなウィルスとの付き合い方だ。